1995年。1月に阪神淡路大震災、春にはオウムの毒ガス騒動。日本中が落ち着かない時だった。
おいらは 20代の終わりに差し掛かっており、「これまでの生活を大きく変えたい!」という
欲求が頂点にまで高まっていたと思う。
日本はチャリダー時代にほぼ見てきたし、そろそろ外国へ行く時期だと思ったのだ。
Working Holiday 制度を利用して海外生活を経験しようと心は決まった。
資金はまぁなんとかなりそうだが、今まで大っきらいだった英語が問題だ。
英会話学校に通い、なんとか生きていけるぐらいの感触は掴んだ(後で打ちのめされたが)。
半年ぐらい掛けていろいろと情報を集めた。
Nifty のフォーラム
(現在は Nifty は脱会)にもお世話になった。
中野サンプラザまで 日本ワーキングホリデー協会
の説明も聞きに行った。
ワーホリを手引きする業者も存在しており、話も聞きに行ったのだが、
どこかで「貴方は全部おまかせのパックツアーが好きですか?」と問いかけられ、
そんなのはまっぴらごめんだと考えて、すべての手続きを自分で行うことにした。
真夏の暑い中、渋谷の NZ大使館
に行って、ビザの申請をした。
意外と手続き的には簡単にできた。
エア・チケットは1年間のオープン。正規料金は痛かったが仕方がない。
バックパック1つだけ抱え、手持ちのトラベラーズチェックは50万円。(クレジットカードは有り)
1995年10月5日、初めての成田。けっこう心細い。考えてみると海外旅行なんて初めてだ。
おまけに初日の宿すら予約してないぞ〜
とまぁ、こんな調子で始まったのだった。
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